おうみリハビリだより

近江温泉病院 総合リハヒリテーションセンターの回復期リハ病棟・介護医療院・医療療養病棟・認知症治療病棟・ 近江デイリハセンターの理学療法・作業療法・言語聴覚療法の紹介

訪問リハビリ・・・・・いきいきエンディングのすすめ・・エビソード・・・・

ARE YOU READY? 〜生き生きエンディングのすすめ


[http://areyouready.e-radio.jp/e991788.html:ARE YOU READY? 〜生き生きエンディングのすすめ]19回目のオンエアー・・・・

FM滋賀・生き生きエンディングのすすめ・・で、パーソナリティの小野千穂さんの取材を受けました。昨年末に取材を受け、訪問リハについて、いろいろとお話しさせていただきました。
基本テーマは、看取りではありますが、様々な形の訪問リハ・リハビリテーションについてお話しさせていただきました。





せっかくなので、在宅での看取りにもかかわった当院・訪問リハビリのエピソード少し紹介します。


エビソード・1・孫とのキャッチボール


難病・・・。朗らかな性格の方で、ご本人のベッドの周りには、いつもお孫さんが活発に遊んでおり、それを笑顔で見ておられたのが印象的です。奥様や娘夫婦共に仕事に出かけており、日中は独居となる時間帯がありました。奥様は昼食時には1度家に帰ってきて、昼食を摂り、再び仕事に出るといった生活をされていました。ご本人は、1日中ベッドで寝ており、食事の時のみ食卓まで移動されていました。
 訪問リハビリでは、車椅子への移乗、食事、入浴の介助量軽減に向けて関わっていましたが。パーキンソン症候群による手のふるえ、姿勢バランスの崩れにより、1人でベッドに腰掛けることが難かしく、思うように手足を動かせない状態でした。そのため、手指を使用を目的にちぎり絵を導入し、座位姿勢バランスの保持を目的にキャッチボールなど両手動作練習を行いながら、随時、ベッドの位置変更など寝室の環境調整や福祉用具の選定、ご家族への介助方法の伝達を行なっていました。徐々に移乗動作の介助量が最小介助にて可能となり、食事に関しては、スプーンを使用し食べこぼしは認められるものの、車椅子に座り自分で食べられることもされていました。しかし、次第に、嚥下能力の低下も認められるようになり、食事の際にムセることも増え、肺炎を患い、入院され、胃ろう増設後、自宅へ退院されました。退院直後は、幻覚症状や記銘力の低下が認められ、転倒もありました。徐々に落ち着きを取り戻され、訪問リハビリにて、お孫さんとキャッチボールをした数日後に永眠されました。




エピソード・2・さまざまな思いの中で・・・無力・・

難病・・・。本人告知はせず、ご主人、息子の嫁が自宅で介護されていました。人工呼吸器など延命処置はご家族は望まれず。1週間毎に状態が変化し、歩けない、立てない、飲み込めない・・・。レッツチャット(コミュニケーション機器)を導入し、初めて入力された言葉は、「死んだ方がまし」。発声も困難な状況で、涙だけがこぼれ、ただ泣き崩れられた。活動的で、社交的な性格。病前は、いろんな場でお手伝いに出かけられていたこともあり、サービスの受け入れは、一切なし。ケアマネと訪問リハビリで排泄・入浴介助し、訪問看護へとつなぐ。なんとか立ち向かおうとされるも、食事が入らず、入院となり、その数週間後に病院で最期を迎えることとなりました。




エピソード・3・さまざまな思いの中で・・・・最期まで在宅で


脳梗塞後遺症で、夫、長女、長男との四人暮らし。当院回復期より自宅退院し訪問リハビリ開始。自宅退院後は、しばらくは家族みんなが、生活の形を変え自宅で介護されていました。その後、癌の手術を度々され、経過されていました。そんな中・・長女、長男は無事大学を卒業し、就職される・・喜んでおられました。デイサービスに週2回通われるようになり、その後も転移再発され、治療を繰り返されていた。大きな機能低下はみられず、起居、立ち上がりは独力で行え、手引き歩行にてトイレや食堂に移動されていました。家族で外出された写真を部屋に飾られ、写真をみると笑顔になられることも多かったです。再び再発され、抗癌剤治療開始と共に、機能面低下し、動作能力の低下もみられ昨年に入り、食事、水分量が極端に低下し、覚醒状態も不安定で、声掛けに対する反応も遅延やあいまいさみられるようになり入院。点滴等を受けられていたが、在宅で過ごしたい、過ごさせてあげたいという思いもあり、長女も介護休暇をもらい、点滴等は受けられず、自宅で家族が最期まで介護され、お亡くなりになられました。最後に食べた・・・かっぱえびせん1本・・・・・。




エピソード・4・10●歳の誕生日


10●歳の女性。 心不全後の廃用症候群 全盲
長女、次女夫婦と同居されており、娘2人が介護されている。訪問入浴、訪問看護、訪問リハビリ利用されている。
訪問リハビリでは、入浴、オムツ交換時の介助負担の軽減を目的に依頼をうけましたが、以前は伝い歩きで食堂を往復、ベッド脇のポータブルトイレを介助下で使用出来ていたとのことですが、依頼時はベッド上寝たきりの状態でした。もう一度食堂でみんなと食事がしたいという希望もあり、週1回の訪問リハビリにて、ベッド端座位練習を実施。起き上がりは介助が必要だったが、端座位は独力で保持可能となってきました。もう一度座れたことで、ご本人、ご家族喜ばれ、笑顔がみられる。その日の体調に合わせ端座位練習を行っている。今年9月に103歳の誕生日をご自宅で迎えられた。




エピソード・5・穏やかな日々・・そして最期


脳梗塞後遺症、以前に腰椎圧迫骨折をされている方。認知症の妻との二人暮らし。長男夫婦は大阪に、二男夫婦は隣の市におられ時折、次男のお嫁さんは様子を見に来られていました。長男夫婦は毎週末には帰省され、薬の管理等行っておられた。訪問リハビリ開始時は、菊作りが趣味で菊作りやハウスでの活動を行ないやすいように関わってきました。右片麻痺でしたが、菊作りや畑の仕事を行ううちに右上肢の機能の向上もみられ、右上肢ではさみを握れるようになられました。毎年、季節ごとにはバーベキューやご飯会、外出などされそれを楽しみにされていた。転倒や徐々に加齢とともに腰部の痛みが強くなり、歩行能力の低下も見られてきた。腰部の痛みはありながらも、前輪付き歩行器や車椅子を使用しながら、屋内もなんとか独力で移動可能でした。しだいに菊作りはやめられたが、畑仕事は行いたいと屋外への出入りの環境も調整していました。少しづつ屋外へ出ることは減ったが、調子の良い日には散歩や畑に出かけたりとされていた。車いすでも縁側から出られるように、踊り場とスロープを作製され、初めてスロープを使用し屋外へ出られ、ご家族で穏やかに過ごされた翌日の朝に最期を迎えられました。




直接看取りの時に、かかわることはなくのですが、その時まで・・訪問リハビリとして・・本人・家族・・さまさまな思いを支えていきたいと思います。